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1.現在の状況

昨年から東京pmjが始まり、その参加メンバーとしてこの一年間過ごしてきました。
たくみの会には2013年1月から2ヵ月に1回のペースで参加してきましたが、
ここ最近のセミナーは大きく進展してきております。
私の知る限り振り返ってみて本質自体は何も変わっていないのですが、
より内容が深くなってきているという感じがします。

そんなたくみの会と関わってきて、自分の中で人との関わり方が変わってきました。
多分、私の「ありよう」が変わってきたのでしょう。
以前のように相手を変えようと思わなくなり、同時に、
自分と違った考え方の人とも普通につきあえるようになりました。
職場においても社員さんと接するのが楽になり、
打合せでは相手の中に声が届くように話せる感覚も出てきました。
耳から相手の言葉が届く前に相手の話を身体で感じる様にもなってきています。

2. 以前のありよう(職場)

私には兄がおり、F社を創業した父の後継は兄と決まっておりました。
なので、私は学生の頃から人の上に立とうとか出世しようとか思わず、
楽して生きていければと考えていました。

東京の私立大学を卒業後、C社に就職し、順風満帆に過ごしておりました。
今思えば、私の仕事態度は決して褒められたモノではありませんでした。
バブル期入社と言うことで同期も多く社内の風潮も
新人が会社を辞めないようにと甘い対応で扱われてましたので、
自分としては頑張って仕事をしていたと思いますが、
今に思えば学生の延長で仕事をしていた感じでした。

新人として仕事を覚えている内は問題なかったのですが、
一人で動くようになると、なにかしらトラブルが出ます。失敗は避けられません。
ですが、その後がいけません。よく上司や他部署ともめてしまうのです。
もめる原因は私の人との関わり方、
つまり相手を無視した私の「ありよう」だったのだと後になって気づくのです。

3. 以前のありよう(趣味の場)

私は趣味で中学生の頃からずっとソフトテニスをしております。
地方区ではそこそこ勝つのですが、全国区ではよくて2回戦止まりでした。
なぜ、勝てないのかが不思議でした。
30歳を超えても頑張っていて1度で良いから天皇杯に出たいと思っていました。
その為にはレベルの高い場所で練習し自分を高め、
よりレベルの高いペアとダブルスを組んで貰うことが必要でした。

運良く全国有数の実業団の練習に入れてもらえるようになりました。
実業団の人たちと接してみて、
プレイ風景を観ていると自分とは何か違うように思えました。
確かに上手なのですがそこに醸し出す何かが違う。
プレー以前に何かが異なっていました。

当時は解らなかったのですが、今になってみると、
その実業団の人たちはみんな程度の差はあれど、
試合相手や飛んでくるボールと仲良く遊んでいるような「ありよう」なのです。
比べて当時の私は相手も飛んでくるボールも構わず
無理矢理やっつけようとする相手を無視した私の乱暴な「ありよう」だったのです。

4.父の会社へ

1995年、突然父から東京の子会社の後継にならないかと言われました。
兄も同意してくれたので、私は受けることにしました。
1997年8月、現在代表取締役をしている会社に取締役として入社しました。

運良く良い数字を上げていましたので、
会社経営を勉強するのと仕事内容を把握するために
3年間口を出さずにいようと決めました。

実際、口を出そうにも右も左も解らず、
且つ取締役という立場から何を言って良いのかも解らない状態でした。
父が月1回しか子会社に来ていなかったので、
実務はもう一人の取締役兼営業部長が行ってくれました。
ただ、元々、父が創業した会社ではなかったので
父に対して反感を抱いている人たちが大勢いました。

当然私にも火の粉はかかりました。
私の、相手を無視した「ありよう」も関係していたと後になって気づくのですが、
当時はやっかいな人たちだなと自分を棚に上げて思っていました。

利益は出しているけれど、殺伐とした雰囲気。
何年も会社に行くのがとても嫌でストレスになっていました。
私はこの雰囲気を変えようといろいろと試みましたが
どれも上手くいきませんでした。
なまじ会社の数字が良いものですから、
社員はどんどんやりたい放題で経費もどんどん膨れていきました。

転機が訪れました。2008年のリーマンショックです。
半年間国内の自動車生産が止まりました。
会社の売上げも約半年間なくなりました。
経費削減しないと生き残れない状況になりました。私にとっては好都合でした。

これまでの積み立てた剰余金もあります。
自己資本比率も80%ぐらいにはなってますので。
1年間無収入でも問題ない状態でした。

東北大震災も大変でしたけれど、
経費削減に関しては後押しするタイミングとしては最高のタイミングでした。

その後、問題ある社員も年をとり且つ私のことを嫌いな社員は
何人か辞めていきました。
経費を正常な状態に戻し、会社の体制を整えることは、
不景気という社会情勢も追い風となり比較的簡単にできました。

少なくとも最悪の状態からは脱したのです。
ただ、相変わらず以前の会社を懐かしむ社員が存在し、
その考え方が悪影響を及ぼしているのは明らかでした。

5. たくみの会

子供が生まれて、休みの日にソフトテニスに行くのがはばかられるようになり、
平日に何か肩こりと運動不足解消の為に運動をしたいと思い、
近所の合気道道場に通うことにしました。

そうすると合気の技に興味を持ち始めインターネットで調べていく内に、
YouTubeでたくみの会を知りました。
なんと、YouTubeの中で達人技を
ジャージ姿の人が何気なく行っているではありませんか。

約1年間たくみの会のYouTubeを眺めていましたが、
2013年1月合気の技を知りたいと言う好奇心から、
たくみの会に行ってみることにしました。

初めは、触感123セミナーでした。
詳細は忘れましたが
さすがに今のように実感しながらは出来ていなかったと思います。

技らしきモノは行えたのですがほとんど未消化でしたので、
その後もたくみの会セミナーに参加しました。
それが積み重なり、数えたらもう35回も参加してしまい、未だに継続中です。

6.全方位・全ジャンル

初め、たくみの会に興味を持ったのは、やはり武術的な動きでした。
そして、セミナーに参加していく度に、
白神先生の「全方位・全ジャンル」という言葉が
身体で理解できるようになっていきました。

体術も対話も・・何かと関係を持つとき
全てはその時の自分の「ありよう」によって決まる。
そして「ありよう」は分野を問わない。

分野を問わない、と言うことは
ソフトテニスにも仕事にも使えると言うことです。私は具体的に利用してみました。

まず、試しに現在コーチをしているソフトテニス教室の指導方法を変えてみました。
これまで一方的だった指導を対話型にしたのです。
そして、練習の中で数回、各自に「感想を聞くのです」
各自の感想は他の人も聞き、他の人もその感想を聞くことで
全員の対話がなされやすい状況を創るのです。

この場合、多少のアドバイスはしますが、
私の「ありよう」がポイントになっています。
つまり、私の「ありよう」次第で各自の感想が私の中で流れ
それが循環になることで各自がそれなりの「ありよう」となり
そのままの状態で次の練習に入れると言うことです。

一度でも、良い感覚でプレーできればその感覚を求めて、練習が出来ます。
事実、初心者から始めたママさん達は
地方大会ですがそれなりに実績を出しつつあります。

職場でも、出来るだけ多くの社員と対話する試みを実施しております。
私は朝、工場の門周辺を掃除するのが日課となっていて
ほぼ全員と顔を合わせます。

出来るだけ会話は挨拶程度ですませますがその時会話外の対話を試みます。
ここでもポイントは私の「ありよう」です。
一見同じ行動に見えても、私の「ありよう」が変われば
関係する人の態度も変わります。

隣の工場に出社する人からも挨拶されるようになりましたし、
これまで苦手意識のあった人たちとも少しずつ挨拶されるようになり、
今では普通に会話できるようになりました。

肩書きが邪魔して、普通の会話ができなかった人とも
以前より普通に会話が出来るようになりました。

昨年には、月一回の全体朝礼を座って行うようにして、
出来るだけ社員さんに人前に立って何か話してもらえるようにもなりました。

7. 「ありよう」の変化と共に・・

全てにおいて「ありよう」で決まる。白神先生がよく言われる言葉です。
組織の雰囲気はその組織のトップで決まります。
私がああだこうだと言い続けていた間は
会社の雰囲気はほぼ何も変わりませんでした。
健やかな組織なんて夢の又夢でした。

けれど、皮肉にも私が出来るだけ黙る様になってからは
会社のなかの雰囲気が変わってきました。
武道的に言うと、力でごりごり責めている間はダメで、
力を抜いて接点だけ触れてるだけで相手が勝手に倒れるような感じでしょうか。
黙ることで結果的に相手の話を聞く「ありよう」になっていた私がいたようです。

私の「ありよう」がより自然に近い「ありよう」になれば、
今後、私も会社ももっと健やかになれるのではないかと思っております。

 

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